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きんぴかどくろ。
このあいだ、信長の例の金の髑髏について、ちょっとかんがえてみた。
これは、天正二年正月の岐阜城入城か何かの、ともかく段々勢いが上がって来た頃の話なわけです。
浅井父子と朝倉氏の計3名の首級を、多分、もうすっかり髑髏になってしまっていたのでしょうか。
兎も角、箔濃(薄濃と記されてありますが)にて金ぴか漆コーティングしたものを、馬廻り衆に見せつけてびびらせます。
信長公記 太田牛一バージョンの方が、史料的には一応評価されているようなので、それに、そう書いてある。
ところで、朝倉氏も応仁の乱となる時代のあたりで、若狭武田氏に対して、討ち取った兵の首を晒し、その前で宴をひらいて士気を挙げる方法はとっているようです。
意趣返しなのかどうなのかはわかりませんが。
因みにあの頃の朝倉氏と云ったら、もう100年近くも続いて居るかなりの氏族で、その上越前一乗谷に大変な城下町を持ち、最近わかったことに、すごい硝子工房まで持っていて硝子玉を量産していたようです。
独自の貿易も展開している可能性もありそうな、そんなすごいお宅なのでした。。
それにくらべれば、信長のお宅はまだまだこれからなので、この浅井朝倉両氏を討ち滅ぼしたのは、京への道を一挙に縮めたことでしょう。
記念事業みたいなものだったのでしょうか。。
が。
どうも、この中世の時代に、立川真言流なる怪しの外法があって、経を記した紙で補修した金の髑髏を、七年の間祀り、八年目にして神通力を得る。みたいな方法なのだそうですけれど。
信長もそれを知っていたのか、もしくは筆者がこの時代にそう云う風習があったため、何かついつい書き添えてしまったのか。
其の辺りはよくわからないままです。

一応、来月、一乗谷朝倉遺跡には、行ってみようかなあ。なんて思っています。
その前に、熱田祭をみたり、ちょこっと伊勢に足をのばしたりとか、色々考えています。。
本当は、弥富にも行きたいわけですが。文鳥……。


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: 民俗学メモ : 21:48 : comments(0) : trackbacks(0)










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