めくるめくひめくり




<< ふらっとおさんぽ。 : main : お見舞い申し上げます。 >>
無縁ではなく、無援だろう。
 「無縁」。
これは自由の旗印。
だったのだけれどね…。
今、CMのない某局が、さかんにこの「無縁」を貶めようと画策していますが、彼らは「無縁」の本来の意味を勉強したことがあるのだろうか。
わたし個人、民俗学を通して、ここまでの日本の民衆の歩みをさがしてきた者としては、正直とても嫌な気分なのである。
「無縁・公界・楽」は、確かに中世以降、組織化され、階層化され、結局その本来持つちからは急速に失われ、形骸化してしまった流れを持つ。
けれど、平成の今、何もこの「無縁」をわざわざネガティブな流れに導く旗印になど、して欲しくなど無い。
のでありました……。

「有縁」にはない、「無縁」の破壊的或は創造的莫大なエネルギーは、これまで多くの芸能、工芸、職業等の文化を生み出す原動力になってきました。ある意味、文化資本主義だった頃の日本を創出したエネルギーの場だと感じるのです。
また「無縁・公界・楽」という「場」の特徴としては『不入権、地子・諸役免除、自由通行権の保証、平和領域、私的奴隷からの解放、貸借関係の消滅、連坐制の否定、 老若の組織』が挙げられます。
何か、これをみているだけでも、どきどきしてくるのですが。。
自由ですよね。何処にも所属しない、アウトローたる側の、行動の自由。
各種種工業者、芸能者、病者、知識人なども、この無縁や公界、楽の場に存在するひとたちとしてカウントされています。
公家や武家等の階級社会に属さない、非農民系のひとびとの居る世界を、おそらく無縁や公界と呼んだものでしょう。
ちからなく呆然と孤立し、逸れて分断されたひとびとを、無縁とは呼ばないのではないでしょうか。
むしろそれは「排除、分断、無援」社会と呼ぶべきであって、「無縁」のようなことばは持ち出してはならない様に思えます。
まあ孤立無援を、無縁にしてしまったのかなと云う安易さも伺えますが。
こう云うものに騙されないようにしなければいけないなあ。と、つくづくメディアリテラシーについても心に留めておかなければ。と、感じるのでありました。。

今日異様に長かったですね…。
折角の網野先生がお書きになられた、「無縁・公界・楽 日本中世の自由と平和」と云う名著のイメージが損なわれてはならないと思いましたので。。



JUGEMテーマ:日記・一般


: 民俗学メモ : 22:19 : comments(0) : trackbacks(0)










▲top